意を決して、清水は学校へ通じる道に足を踏み出す。
バイクで走っていた時は気にならなかったが、いざ歩き出してみると人口の光がまるでない山道は恐ろしいほど暗かった。
必死に原始的な闇に対する恐怖を押さえつけて、見通しが利かない夜道を進む。
道に穿たれた轍に足をとられて、体がよろめくたびに心臓が口から飛び出そうになる。
清水は町育ちの自分の脆弱さが情けなくなった。
不意にバキッと枝を折る音がした。
山道を覆っている森の奥から聞こえたようだ。
足を止めた清水の背中を、すうっと冷たい汗が滑り落ちていった。
こんな時間に森の中に人がいるものだろうか……。
夜行性の肉食獣の名前が、生物専攻の清水の頭の中を次々とよぎっていく。
確か日本狼は絶滅したはずだ。それに、この辺で熊が出ると言う話は聞かなかったし……。
でも、聞かなかっただけで、本当は住んでいたらどうしよう。
「……先生」
森の中から突然出てきた人影に、清水は悲鳴をあげて、その場にくたくたと崩れ落ちた。
「悪いな。世話をかける」
肩を借りて半ば腰の抜けた身体を支えてもらいながら、清水はよろよろと歩いていた。
「いいんですよ。あんなところで先生に会えるなんて驚きましたけど、お役に立てて僕も嬉しいです」
隣を歩く多木秀次は片手で器用に細いメタルフレームの眼鏡の位置を直した。
きっちりと髪を後ろへかきあげた髪型に、眼鏡をかけた理知的な顔立ちが、いかにも優等生的な雰囲気を発している。
年下の高校生の余裕のある口ぶりに、清水は軽い反発を感じたが、肩を借りている上に今夜は家に泊めてくれるというのだから、そんなことを思っては罰があたるというものだ。
多木の身体は一見すると細身だが、こうして肩を組んで接してみると清水より少し背が高く、意外に力強いがっしりした骨格をしているが分かる。
勉強だけが取柄のガリ勉ではなさそうだ。文武両道っていう訳か。さすが生徒会長を務めているだけのことがあるな。
でも、そのご立派な生徒会長様が、こんな夜遅くに森の中で何をしていたんだろう……。
「多木は、さっき、何し……」
「あそこが僕の家です。何もありませんが、ゆっくりしていって下さい」
古い昔ながらの家が多いこの村落にあって、一際目立つ現代的なデザインのビル、『多木歯科クリニック』を指す多木の声に、清水の疑問は霧散してしまった。
病院経営者らしい清潔感溢れる白を基調としたリビングは、どこもかしこもピカピカに磨かれ整頓されていた。
清水はカレーの載ったダイニングテーブルを挟んで、多木と向かい合わせに緊張して座っていた。
指紋一つ無いガラスの天板は、清水をより萎縮させたが、それよりも目の前の多木が問題だった。
こんな時間にレトルトとはいえ食事を出してくれた多木には確かに感謝している。
しかし、どうしてこいつは、検分するような目で俺を見るんだ。
まるで自分が観察される実験動物になったような気がする。
しかも両親は学会に出席とかで留守にしているそうで、知らなかったとはいえ保護者のいない家庭にのこのこ入り込んでしまった短慮を、清水は悔いてもいた。
やっぱり今から学校に戻ろう。
「……あのさ、俺、やっぱり学……」
「コーヒーはいかがですか」
カップが二つ載ったお盆を手にした多木が、またしても清水を遮った。
「このコーヒーは、僕が自分でブレンドして淹れたんですよ。ちょっと苦味が強いので、最初から甘味を足しておきました。よかったら召し上がってください」
差し出されたカップから立ち昇る、芳しいコーヒーの香りが清水の鼻腔をくすぐる。
これを飲んでから、戻ればいいか。
礼を言って受け取ると、清水はカップに口をつけた。
コーヒーを飲み干す清水を見る多木の目が、眼鏡の奥で満足げに細められた。
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バイクで走っていた時は気にならなかったが、いざ歩き出してみると人口の光がまるでない山道は恐ろしいほど暗かった。
必死に原始的な闇に対する恐怖を押さえつけて、見通しが利かない夜道を進む。
道に穿たれた轍に足をとられて、体がよろめくたびに心臓が口から飛び出そうになる。
清水は町育ちの自分の脆弱さが情けなくなった。
不意にバキッと枝を折る音がした。
山道を覆っている森の奥から聞こえたようだ。
足を止めた清水の背中を、すうっと冷たい汗が滑り落ちていった。
こんな時間に森の中に人がいるものだろうか……。
夜行性の肉食獣の名前が、生物専攻の清水の頭の中を次々とよぎっていく。
確か日本狼は絶滅したはずだ。それに、この辺で熊が出ると言う話は聞かなかったし……。
でも、聞かなかっただけで、本当は住んでいたらどうしよう。
「……先生」
森の中から突然出てきた人影に、清水は悲鳴をあげて、その場にくたくたと崩れ落ちた。
「悪いな。世話をかける」
肩を借りて半ば腰の抜けた身体を支えてもらいながら、清水はよろよろと歩いていた。
「いいんですよ。あんなところで先生に会えるなんて驚きましたけど、お役に立てて僕も嬉しいです」
隣を歩く多木秀次は片手で器用に細いメタルフレームの眼鏡の位置を直した。
きっちりと髪を後ろへかきあげた髪型に、眼鏡をかけた理知的な顔立ちが、いかにも優等生的な雰囲気を発している。
年下の高校生の余裕のある口ぶりに、清水は軽い反発を感じたが、肩を借りている上に今夜は家に泊めてくれるというのだから、そんなことを思っては罰があたるというものだ。
多木の身体は一見すると細身だが、こうして肩を組んで接してみると清水より少し背が高く、意外に力強いがっしりした骨格をしているが分かる。
勉強だけが取柄のガリ勉ではなさそうだ。文武両道っていう訳か。さすが生徒会長を務めているだけのことがあるな。
でも、そのご立派な生徒会長様が、こんな夜遅くに森の中で何をしていたんだろう……。
「多木は、さっき、何し……」
「あそこが僕の家です。何もありませんが、ゆっくりしていって下さい」
古い昔ながらの家が多いこの村落にあって、一際目立つ現代的なデザインのビル、『多木歯科クリニック』を指す多木の声に、清水の疑問は霧散してしまった。
病院経営者らしい清潔感溢れる白を基調としたリビングは、どこもかしこもピカピカに磨かれ整頓されていた。
清水はカレーの載ったダイニングテーブルを挟んで、多木と向かい合わせに緊張して座っていた。
指紋一つ無いガラスの天板は、清水をより萎縮させたが、それよりも目の前の多木が問題だった。
こんな時間にレトルトとはいえ食事を出してくれた多木には確かに感謝している。
しかし、どうしてこいつは、検分するような目で俺を見るんだ。
まるで自分が観察される実験動物になったような気がする。
しかも両親は学会に出席とかで留守にしているそうで、知らなかったとはいえ保護者のいない家庭にのこのこ入り込んでしまった短慮を、清水は悔いてもいた。
やっぱり今から学校に戻ろう。
「……あのさ、俺、やっぱり学……」
「コーヒーはいかがですか」
カップが二つ載ったお盆を手にした多木が、またしても清水を遮った。
「このコーヒーは、僕が自分でブレンドして淹れたんですよ。ちょっと苦味が強いので、最初から甘味を足しておきました。よかったら召し上がってください」
差し出されたカップから立ち昇る、芳しいコーヒーの香りが清水の鼻腔をくすぐる。
これを飲んでから、戻ればいいか。
礼を言って受け取ると、清水はカップに口をつけた。
コーヒーを飲み干す清水を見る多木の目が、眼鏡の奥で満足げに細められた。
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