まったく信じられない。
百貨店の地下にある高級果物店でババロアを注文しながら、柏木晃彦はその端正な顔を自嘲的にゆがめた。
何が信じられないかって、このくそ忙しいときにわざわざこんなところまで土鍋やババロアを買いに来ている自分の姿が信じられない。
仕立てのいいスーツの袖口から出た手に下げた紙袋には、すでにずっしりと重い米の袋と梅干が詰め込まれていた。
中間決算を控えてびりびりした自社を出る時、秘書が悲壮な顔で「社長、一刻も早くお帰りください」と呻いていたのを思い出す。
まったく、いったい僕はどうしてこんなことをしているんだろう……。
百貨店の出口に足を向けながら、柏木は3年前の春を思い出していた。
あの日も柏木はここへ来ていた。
所用を済ませ帰社しようとエスカレーターから足を踏み出した時、ずらずらと並んで行進していく新入社員の列にぶつかった。
どうやら挨拶の練習をさせられるらしく、玄関を挟んで二列に並ばされ、入ってくる客に向かって頭を下げては大きな声でいらっしゃいませと声を張り上げている。
厳しい就職戦線を勝ち抜いた若者らしくみんな芯の強そうな顔をしている中に、一人妙に自信なさげな子が混じっていた。
挨拶のテンポも他の子より遅れているようだし、声も小さそうだ。
二重の目が印象的な可愛い顔立ちをしているのに表情が硬い。
ちょっと暗そうな子だな。
興味を失い、きびすを返した柏木が外に出たとき、すれ違うようにして一人の老婆が玄関をくぐって行った。
きらびやかなこの百貨店にはとても相応しくないみすぼらしい格好をしている。
すれ違った瞬間、漂う異臭に柏木は気がついた。
呆けた老婆か……。
不快な気持ちで足を進めたとき、背後でガタンと音がした。
案の定、転んだらしいな。
それとも追い出されたかな。
ちょっとした好奇心で後ろを振り向いた柏木が見たものは、先程のテンポがずれた青年が老婆に手を貸す姿だった。
他の新入社員は嫌悪の表情を浮かべて固まっていた。
青年が老婆に笑いかけた。
はっとするほど綺麗な笑顔だった。
柏木は急いでそこから立ち去った。
遠く離れた所へ来ても、柏木の胸の動悸は収まらなかった。
次にあの青年と会ったのは、外商サロンだった。
どうやら外商部に配属になったらしい。
サロンを訪れる際にさりげなく観察してみると、ほっそりしたしなやかな体つきをしているのが分かった。
肌もきめが細かそうだ。
相変わらずどこかテンポがずれているようで、社員の輪の中に入っていてもあまり話さず、ぼんやりしているように見える。
あの綺麗な笑顔はどこに隠したんだ。
あの笑顔だけじゃなく、もっと他の顔も持っているんじゃないか。
柏木は突き上げてくる劣情に戸惑った。
堅気のしかも取引先の社員に手を出すのは、さすがにまずい。
しかし柏木の手は勝手に、馴染みの興信所を呼び出していた。
「調査結果が出ました」
「……中原悠司か」
「家族は両親のみ。5年前に祖母死亡。大学入学と同時に一人暮らしを始め、今は就職を機にちょっといいマンションへ越したようです」
「恋人は?」
「いません。大学時代も決まった相手はいなかったようです。友人もそんなに多いほうじゃないですね」
柏木は調査書に添えられた中原の写真を指でなぞった。
「……お気に召した相手ですか」
「まあ、いい遊び相手にはなりそうだね。この子の部屋の合い鍵も用意しておいて。それから、この子に手を出そうとする人がいたら、それも排除しておいてね」
「かしこまりました」
柏木はくるりと椅子を回転させると、オフィスの窓から中原の勤務先の百貨店が入店している高層ビルに目をやった。
新入社員ではまだ僕の担当は無理か……。
仕方がない。
機が熟すまで、じっくりと待つとするか。
切れ長の目にきらりと剣呑な光が宿らせ、唇の端を片方だけあげて、柏木はにやりと笑った。
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百貨店の地下にある高級果物店でババロアを注文しながら、柏木晃彦はその端正な顔を自嘲的にゆがめた。
何が信じられないかって、このくそ忙しいときにわざわざこんなところまで土鍋やババロアを買いに来ている自分の姿が信じられない。
仕立てのいいスーツの袖口から出た手に下げた紙袋には、すでにずっしりと重い米の袋と梅干が詰め込まれていた。
中間決算を控えてびりびりした自社を出る時、秘書が悲壮な顔で「社長、一刻も早くお帰りください」と呻いていたのを思い出す。
まったく、いったい僕はどうしてこんなことをしているんだろう……。
百貨店の出口に足を向けながら、柏木は3年前の春を思い出していた。
あの日も柏木はここへ来ていた。
所用を済ませ帰社しようとエスカレーターから足を踏み出した時、ずらずらと並んで行進していく新入社員の列にぶつかった。
どうやら挨拶の練習をさせられるらしく、玄関を挟んで二列に並ばされ、入ってくる客に向かって頭を下げては大きな声でいらっしゃいませと声を張り上げている。
厳しい就職戦線を勝ち抜いた若者らしくみんな芯の強そうな顔をしている中に、一人妙に自信なさげな子が混じっていた。
挨拶のテンポも他の子より遅れているようだし、声も小さそうだ。
二重の目が印象的な可愛い顔立ちをしているのに表情が硬い。
ちょっと暗そうな子だな。
興味を失い、きびすを返した柏木が外に出たとき、すれ違うようにして一人の老婆が玄関をくぐって行った。
きらびやかなこの百貨店にはとても相応しくないみすぼらしい格好をしている。
すれ違った瞬間、漂う異臭に柏木は気がついた。
呆けた老婆か……。
不快な気持ちで足を進めたとき、背後でガタンと音がした。
案の定、転んだらしいな。
それとも追い出されたかな。
ちょっとした好奇心で後ろを振り向いた柏木が見たものは、先程のテンポがずれた青年が老婆に手を貸す姿だった。
他の新入社員は嫌悪の表情を浮かべて固まっていた。
青年が老婆に笑いかけた。
はっとするほど綺麗な笑顔だった。
柏木は急いでそこから立ち去った。
遠く離れた所へ来ても、柏木の胸の動悸は収まらなかった。
次にあの青年と会ったのは、外商サロンだった。
どうやら外商部に配属になったらしい。
サロンを訪れる際にさりげなく観察してみると、ほっそりしたしなやかな体つきをしているのが分かった。
肌もきめが細かそうだ。
相変わらずどこかテンポがずれているようで、社員の輪の中に入っていてもあまり話さず、ぼんやりしているように見える。
あの綺麗な笑顔はどこに隠したんだ。
あの笑顔だけじゃなく、もっと他の顔も持っているんじゃないか。
柏木は突き上げてくる劣情に戸惑った。
堅気のしかも取引先の社員に手を出すのは、さすがにまずい。
しかし柏木の手は勝手に、馴染みの興信所を呼び出していた。
「調査結果が出ました」
「……中原悠司か」
「家族は両親のみ。5年前に祖母死亡。大学入学と同時に一人暮らしを始め、今は就職を機にちょっといいマンションへ越したようです」
「恋人は?」
「いません。大学時代も決まった相手はいなかったようです。友人もそんなに多いほうじゃないですね」
柏木は調査書に添えられた中原の写真を指でなぞった。
「……お気に召した相手ですか」
「まあ、いい遊び相手にはなりそうだね。この子の部屋の合い鍵も用意しておいて。それから、この子に手を出そうとする人がいたら、それも排除しておいてね」
「かしこまりました」
柏木はくるりと椅子を回転させると、オフィスの窓から中原の勤務先の百貨店が入店している高層ビルに目をやった。
新入社員ではまだ僕の担当は無理か……。
仕方がない。
機が熟すまで、じっくりと待つとするか。
切れ長の目にきらりと剣呑な光が宿らせ、唇の端を片方だけあげて、柏木はにやりと笑った。
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