新春の街から成人式の案内が外される。
世間はようやく新年の賑わいから日常へと、雰囲気を変えつつあった。
松の内の間、百貨店の玄関に飾られていた大きな門松も今は無い。
急に寂しくなってしまったガラス張りの扉の前を、中原悠司はしなやかな身体を包むシンプルなデザインだがいかにも品質の良さそうなコートの裾を翻して、急ぎ足で横切った。
所属先の外商部ではまだ業務が続いていたが、中原は今夜の出発に備えて早退届を出してあった。
旅支度を調えているであろう、最愛の人の待つ自宅へ向かう足が自然に速まる。
普段は多忙で、一緒に暮らしてはいてもなかなかゆっくりと向かい合うことの出来ない恋人、柏木晃彦と二人きりで過ごせる明日からの一週間を思って、中原の口元に自然に笑みが浮かんだ。
地下鉄の改札をくぐろうとした時、黒いコートを着て灰色のアタッシュケースを下げた見覚えのある背中に気がついた。
勤務先同期の赤石徹が、駅構内の柱の影で携帯電話に向かって熱心に話しかけている。
「……ふふ」
中原は大きな二重の目を細めて笑った。
柏木と中原の関係が落ち着くまでには色々あり、この温かい雰囲気を持つ同期の男には多大な迷惑をかけてしまっていた。
自分を好きだと言ってくれた赤石の気持ちを利用するような真似をしてしまったことは、中原の心に深い悔いとなって突き刺さった。
その悔いが軽くなったのはいつからだったろう。
夏のある日、突然、会社を飛び出していった赤石は、何日かして憔悴しきって戻ってきた時には、左手の指を一本無くしていた。
どんなに問い詰められても事情を話さず、ただただ頭を下げる赤石に会社も手を焼いたが、今までの実績と有能さもあって、厳重注意の上、主任の肩書きを外されての職場復帰となった。
しかし、赤石はあくまでも晴れやかな顔で、堂々としていた。
心配する中原に、赤石はそっと携帯電話の待ち受け画面を開いて見せた。
「……凄く可愛い猫と暮らし始めたんだよ」
小さな液晶画面には、確かに心なしかつんとした猫を思わせる、整った顔立ちの青年が写っていた。
仏頂面をしてカメラ目線を外しているが、本心から嫌がっているのではない証拠に頬に薄く血の色が昇っている。
蕩けそうな笑顔を画面に向ける赤石の姿に、中原は彼に対する悔いからすうっと心が解放されるのを感じた。
……よかった。
赤石は今、幸せなんだ。
「赤石!」
「……うわっ」
後ろから軽く肩を叩いただけで赤石は飛び上がって、精巧な義指をつけた手で画面を慌てて閉じた。
「……ごめん。驚かした?」
赤石のあまりの驚きように、中原は戸惑った。
「ああ、中原……。いいよ、ちょうどかけ終わったところだ」
赤石は往年の映画俳優のような正統派の顔に、さっと明るい笑顔を浮かべた。
ぱっと夏のお日様が差し込んだように、急に周りが明るくなったようだ。
トレードマークのようになっていた太いフレームの眼鏡を外してから、赤石は一段と明るく温かくなった。
でもそれは、コンタクトに換えたせいだけじゃないんだろう。
「また、可愛い仔猫ちゃんに電話か?」
からかうように言ってやると、赤石の表情はでれでれと崩れた。
「それがさ、ほんっとに、可愛いんだよっ!俺、今までに、こんなに幸せな気持ちになったこと無いよ。一緒に住んでいるのに、あいつのことが一日中頭から離れなくてさ。……違うな、もう俺の頭の中にあいつが住んでいるみたいな感じだ」
目をきらきらさせて熱く語る赤石を、中原は微笑ましく見つめた。
「赤石の気持ち、よく分かるよ。僕もそうだ。一緒に暮らしているのに、気がつくとあの人のことばかり考えているよ」
はっと何かに気づいたように、これだけは相変わらずの派手な柄のタイを揺らして赤石は中原に向き直った。
「そういえば、もう中原じゃなくなったんだな。柏木って呼ばなきゃいけないのか?」
「中原でいいよ。仕事上は中原で通すし、プライベートなことだから……」
中原は上気した顔を俯けた。
この正月に中原は柏木と養子縁組を結んだ。
年下の中原が柏木の戸籍に入るという形になったが、元旦に柏木邸に招待された中原の両親も、何かが吹っ切れたような表情で祝福してくれた。
息子である中原がこうして完全に出て行ってしまって、残るは自分たち二人きりだという思いが彼らの仲を穏やかにしているようだった。
ところで柏木は、内緒で結納品一式を整えていて一同を驚愕させた。
きんきらきんに輝く結納の品々から、柏木が取り出して見せたのはお爺さん二人が並んだ高砂の人形だった。
笑い崩れる中原の頬には、可笑しいからなのか嬉しいからなのか分からない涙が零れていた。
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世間はようやく新年の賑わいから日常へと、雰囲気を変えつつあった。
松の内の間、百貨店の玄関に飾られていた大きな門松も今は無い。
急に寂しくなってしまったガラス張りの扉の前を、中原悠司はしなやかな身体を包むシンプルなデザインだがいかにも品質の良さそうなコートの裾を翻して、急ぎ足で横切った。
所属先の外商部ではまだ業務が続いていたが、中原は今夜の出発に備えて早退届を出してあった。
旅支度を調えているであろう、最愛の人の待つ自宅へ向かう足が自然に速まる。
普段は多忙で、一緒に暮らしてはいてもなかなかゆっくりと向かい合うことの出来ない恋人、柏木晃彦と二人きりで過ごせる明日からの一週間を思って、中原の口元に自然に笑みが浮かんだ。
地下鉄の改札をくぐろうとした時、黒いコートを着て灰色のアタッシュケースを下げた見覚えのある背中に気がついた。
勤務先同期の赤石徹が、駅構内の柱の影で携帯電話に向かって熱心に話しかけている。
「……ふふ」
中原は大きな二重の目を細めて笑った。
柏木と中原の関係が落ち着くまでには色々あり、この温かい雰囲気を持つ同期の男には多大な迷惑をかけてしまっていた。
自分を好きだと言ってくれた赤石の気持ちを利用するような真似をしてしまったことは、中原の心に深い悔いとなって突き刺さった。
その悔いが軽くなったのはいつからだったろう。
夏のある日、突然、会社を飛び出していった赤石は、何日かして憔悴しきって戻ってきた時には、左手の指を一本無くしていた。
どんなに問い詰められても事情を話さず、ただただ頭を下げる赤石に会社も手を焼いたが、今までの実績と有能さもあって、厳重注意の上、主任の肩書きを外されての職場復帰となった。
しかし、赤石はあくまでも晴れやかな顔で、堂々としていた。
心配する中原に、赤石はそっと携帯電話の待ち受け画面を開いて見せた。
「……凄く可愛い猫と暮らし始めたんだよ」
小さな液晶画面には、確かに心なしかつんとした猫を思わせる、整った顔立ちの青年が写っていた。
仏頂面をしてカメラ目線を外しているが、本心から嫌がっているのではない証拠に頬に薄く血の色が昇っている。
蕩けそうな笑顔を画面に向ける赤石の姿に、中原は彼に対する悔いからすうっと心が解放されるのを感じた。
……よかった。
赤石は今、幸せなんだ。
「赤石!」
「……うわっ」
後ろから軽く肩を叩いただけで赤石は飛び上がって、精巧な義指をつけた手で画面を慌てて閉じた。
「……ごめん。驚かした?」
赤石のあまりの驚きように、中原は戸惑った。
「ああ、中原……。いいよ、ちょうどかけ終わったところだ」
赤石は往年の映画俳優のような正統派の顔に、さっと明るい笑顔を浮かべた。
ぱっと夏のお日様が差し込んだように、急に周りが明るくなったようだ。
トレードマークのようになっていた太いフレームの眼鏡を外してから、赤石は一段と明るく温かくなった。
でもそれは、コンタクトに換えたせいだけじゃないんだろう。
「また、可愛い仔猫ちゃんに電話か?」
からかうように言ってやると、赤石の表情はでれでれと崩れた。
「それがさ、ほんっとに、可愛いんだよっ!俺、今までに、こんなに幸せな気持ちになったこと無いよ。一緒に住んでいるのに、あいつのことが一日中頭から離れなくてさ。……違うな、もう俺の頭の中にあいつが住んでいるみたいな感じだ」
目をきらきらさせて熱く語る赤石を、中原は微笑ましく見つめた。
「赤石の気持ち、よく分かるよ。僕もそうだ。一緒に暮らしているのに、気がつくとあの人のことばかり考えているよ」
はっと何かに気づいたように、これだけは相変わらずの派手な柄のタイを揺らして赤石は中原に向き直った。
「そういえば、もう中原じゃなくなったんだな。柏木って呼ばなきゃいけないのか?」
「中原でいいよ。仕事上は中原で通すし、プライベートなことだから……」
中原は上気した顔を俯けた。
この正月に中原は柏木と養子縁組を結んだ。
年下の中原が柏木の戸籍に入るという形になったが、元旦に柏木邸に招待された中原の両親も、何かが吹っ切れたような表情で祝福してくれた。
息子である中原がこうして完全に出て行ってしまって、残るは自分たち二人きりだという思いが彼らの仲を穏やかにしているようだった。
ところで柏木は、内緒で結納品一式を整えていて一同を驚愕させた。
きんきらきんに輝く結納の品々から、柏木が取り出して見せたのはお爺さん二人が並んだ高砂の人形だった。
笑い崩れる中原の頬には、可笑しいからなのか嬉しいからなのか分からない涙が零れていた。
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